私の弟には、軽度の知的障害があります。彼は、とても優しく、純粋な心を持っていますが、昔から物事の段取りを考えたり、複雑なことを理解したりするのが少し苦手でした。両親が亡くなった後、弟は実家で一人暮らしを始めました。私は、結婚して家を出ていましたが、弟のことはいつも気にかけており、週に一度は様子を見に行くようにしていました。最初は、特に問題はありませんでした。しかし、私が仕事で海外に赴任することになり、弟と会えない期間が一年ほど続いた後、久しぶりに帰国して実家のドアを開けた時、私は言葉を失いました。玄関には、未開封の郵便物やチラシが山のように積まれ、リビングはコンビニの弁当容器やペットボトルで足の踏み場もない、まさしく「ゴミ屋敷」と化していたのです。部屋に充満する異臭の中で、弟は、ただぼんやりとテレビを見ていました。「どうしてこんなことに…」私は、ショックと悲しみで、思わず弟を問い詰めてしまいました。「なんで片付けないの!ゴミの日は知ってるでしょ!」しかし、弟は私の言葉に怯えるだけで、何も答えられませんでした。その時、私ははっとしました。弟にとって、「片付ける」という行為が、私が思うよりもずっと複雑で、難しいことだったのかもしれない、と。曜日ごとに違うゴミの分別、粗大ゴミの申し込み方法、市役所からの難しい通知。これら全てを、弟は一人で理解し、処理することができなかったのです。私は、弟の障害の特性を理解しているつもりで、実は何もわかっていませんでした。そして、彼が発していた小さなSOSのサインを、ずっと見過ごしてきたのです。この日から、私は専門家の助けを借りながら、弟の生活を立て直すための長い道のりを歩み始めました。それは、ゴミ屋敷の片付けであると同時に、弟の障害と、そして私自身の無理解と、深く向き合う日々でもありました。
知的障害のある弟の部屋がゴミ屋敷になった日